当社では、クレモナのオールド・ヴァイオリン※の名器から近現代のマスター・ヴァイオリン※まで、取り扱ったヴァイオリン(およびヴィオラ、チェロ、弓)の写真、特徴、健康状態、取引条件などの詳細な情報を整理して記録し、鑑定ライブラリとして保管しています。鑑定ライブラリは、弦楽器専門店および鑑定家としての知の結晶であり、鑑定能力を裏付ける貴重な財産です。
このページでは、当社の鑑定ライブラリの中から、特に印象深かったアントニオ・ストラディヴァリ(ストラディバリウス, Antonio Stradvari, 1644-1737)を数挺選んで解説することで、当社の鑑定実績の一端をご紹介します。ご紹介するストラディヴァリは、いずれも従来はカラー写真では知られていなかったもので、名器にご興味のあるお客様には、画像だけでも楽しんで頂けるかと思います。
ストラディヴァリ初期の傑作。非の打ち所のない素晴らしい楽器で、一目見ただけで吸い込まれるような魅力を感じました。初期と言っても、製作当時44歳という脂の乗った年齢。当代随一の師匠の下で20年以上修行した後の独立間もない時期、技術は冴え渡り、意欲に満ちていたことでしょう。
ストラディヴァリの作品のうち、1689年まではアマティ期とも言われ、偉大なる師匠の影響が強い時期です。ただ、師匠が逝去した1684年前後に独立してから、ストラディヴァリは慎重かつ着実に改良を進め、アマティ期の集大成とも言うべき境地に達します。やや男性的に微調整されたアウトライン、黄金期に近いフラットなアーチ、ひとまわり大きいf孔などがこの時期の典型的な特徴で、これ以上改良の余地のないアマティ期の完成形がこの楽器なのです。前述の非の打ち所のない完成度を感じた理由はここにあります。この作品を経てこそ、1690年以降のロング・パターン※期、1700年以降の黄金期があるのです。
このストラディヴァリは、1822年にロンドンのオークションに出品され、Alsopp氏によって落札されて以降、来歴が記録されています。コレクターによる所有期間が長かったことが良かったのでしょう、私の手元にあった時点で健康状態は非常に良好でした。ストラディヴァリと言えど、この楽器のように、表板にすら殆ど修理痕のないような個体には滅多にお目にかかれません。その表板が一枚板という点も、この個体独特の珍しい特徴でした。
音は大変良く、アマティ的な気品溢れる美しい音色と、力強く十分な音量を併せ持っていました。なお、実物の裏板の杢※は大変美しいのですが、当社ライブラリでは、撮影時の照明の問題か、杢が沈み気味になってしまったことが残念です。
黄金期から円熟期に差し掛かった頃の作品で、高貴な印象が強い "Derenberg" とはまたガラリと違う、力強く男性的な、独特の貫禄を感じる楽器でした。
かのヨアヒム・カルテットの一員であったオーストリアのヴァイオリニスト、ハインリッヒ・カール・ヘルマン・デ・アーナ(Heinrich Karl Hermann de Ahna, 1835-1892)が所有していたことが号名の由来ですが、その他のことはあまりわかっていません。これは、ヒル商会やウーリッツァー商会など、詳細な記録を残す楽器商の手に渡ることがなかったせいでしょう。別名 "Amatise" で知られる1683年の "de Ahna" の資料は豊富ですが、こちらの "de Ahna" について文献には、その存在が知られていることと、断片的な来歴が示されているのみで、写真は記録されていません。
文献 "How Many Strads?" には『大変珍しいことに、このストラディヴァリの表板の右上には、節(フシ)がある』との記述があり、この楽器の特徴と符合します。さらに、当社の鑑定ライブラリにある、翌1723年に製作された "Emiliani" と比較すると、裏板に同一の材料を用いていること、同一のニスを使用していること、アウトラインがぴったりと一致することなどがわかります。このことから、これらの2挺は近い年代に製作されたことを確信できます。一方で、f孔をはじめ細部に "Emiliani" と異なる点もあり、それらは円熟期以降の例に漏れず、ストラディヴァリの意思による実験的試みであるとも、息子達や弟子達の手が入っているとも考えられます。この楽器単体で見ても、円熟期のストラディヴァリであることはひと目でわかりますが、さらに正確な鑑定には、こうして鑑定ライブラリが役立つことも少なくありません。
表板やスクロールに用いられた荒々しさすら感じる材料、やや外側に配置された大きなf孔などの印象が相まって、この楽器は独特の迫力を醸しています。弾いてみると、アマチュアレベルの技量では歯が立たない、凄まじいポテンシャルを感じました。
ストラディヴァリはその円熟期に、恐らくは顧客の要望に応じるため、様々な小変更を行いました。前述の "de Ahna" も、そうした興味深い試みにより生まれた傑作ですが、この "Emiliani" に関しては、黄金期の手法を貫いて製作されている印象の強い、大変美しい楽器でした。
号名 "Emiliani" のストラディヴァリは1703年、1709年、1723年の3挺が存在します。1703年の "Emiliani" は、1970年代末からアンネ=ゾフィー・ムター(Anne-Sophie Mutter, 1963-)が使用していたことでも知られています。いずれもイタリアのヴァイオリニスト、チェザーレ・エミリアーニ(Cesare Emiliani, 1805-1887)が所有していたことが号名の由来です。
先に、この "Emiliani" と "de Ahna" は材料、ニス、アウトラインが同一であることを指摘しましたが、面白いことに全体的な印象は全く異なります。 "de Ahna" が敢えて実験的に男性的な楽器を製作したようにも感じるのに対し、こちらは女性的なのです。表板とスクロールに上品な材料を使用していること、f孔が黄金期のオーソドックスなタイプであること、裏板を1枚板としていることなどがそう感じさせるのかもしれません。また、1964年の "The Strad"誌では、この "Emiliani" を『アメリカのディーラーである Frank Passa氏が所有するストラディヴァリによるカルテットのうちの1挺で、同じく1723年の "Falk" と双子とも言えるほどよく似た楽器である』と言及しています。
音の印象を一言で表すなら、優しい音のするストラディヴァリでした。プロフェッショナルによる演奏では勿論のこと、アマチュアの私が弾いても素晴らしく良い音が出せる、あまり気難しいところのない楽器でした。
晩年期のストラディヴァリは、しばしば大巨匠によって好んで使用されました。フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler, 1875-1962)が1733年(後にブロニスラフ・フーベルマン, Bronisław Huberman, 1882-1947も使用)や1734年の "Lord Amherst" を愛用したこと、ユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin, 1916-1999)が1733年の "Khevenhüller" を生涯愛したことなどは有名です。彼らは黄金期の楽器も所有してましたが、晩年期の楽器の方がお気に入りだったようです。
この頃になると80歳をとうに超え、ストラディヴァリの神業にも明らかな衰えが見えます。それでもなお、優れたヴァイオリンを世に送り出さんとする強靭な意志が潰えることはありませんでした。晩年期、この楽器のように裏板の材料に素杢※を用いることが多くなった理由は、かつて好んだ杢の美しい材料は材質が堅く、老齢のストラディヴァリが思い通りのアーチを成形できなくなり、敢えて材質の柔らかい素杢を選択したとも言われています。そんな私自身の思い込みもあるかもしれませんが、この楽器からは『最高の音が出るアーチを俺が作るんだ』という、ストラディヴァリの職人魂が訴えかけてくるかのようでした。
号名は、コレクターの C.Payne氏の名にちなみます。彼は様々なオールド・イタリアン※の名器を手に入れ、とうとう初めてのストラディヴァリとしてこの楽器を手に入れます。"How Many Strads?" の著者である E.N.Doring氏に宛てた手紙の中で、アマチュア奏者でもある彼は、この楽器の音の素晴らしさに惚れ込んでいました。しかし後に1690年のストラディヴァリを入手するために、この楽器を手放します。折角なら見た目も美しい初期〜黄金期のストラディヴァリを所有してみたくなるのが人情というものなのでしょう。
音には華やかさというよりも独特の深みがあったように記憶しています。正直なところその印象は鮮烈なものではなく、じっくり向き合わないとなかなかその魅力はわからないのだと思います。なお、この楽器のスクロールは、後からジョヴァンニ・フランチェスコ・プレッセンダ(またはプレセンダ, Giovanni Francesco Pressenda, 1777-1854)のものに付け替えられています。